Staff Diary17

演出家・舞踊家・振付家 神永宰良のオフィシャルウェブサイトです

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Staff Diary

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東日本大震災

SN3G0061.JPG福島第一原子力発電所より30キロ圏内、地震、津波、火災により倒壊した町の景色。原発の影響により震災後この日初めての帰宅、何もない自宅兼スタジオ事務所跡地。作品資料、データー、衣装や舞台道具に至るまで、全てが津波と火災により無くなってしまった。(4月7日に撮影。)

SN3G0038.JPG3月11日、この日は5月に行われる相馬高校の吹奏楽部定期演奏会のダンスパフォーマンス作品創りに、相馬に向かい車を走らせていた。14時46分、南相馬で地震に遭う。止まっていても車が転倒してしまうのではないかと思えるような激しい揺れが長く長く、何度も続いた。そして辺りの景色は一変、アスファルトが歪み、家屋の瓦が落ち、塀が崩れ…。
道路沿いにあるコンビニエンスストアーの駐車場に車を止め、公衆電話でスタッフや家族など、安否確認を行う。外で避難している店員に神永が訪ねた。「ここは海に近いですか?」「はい、近いです。」

なかなか連絡もつかず、また何度も起こる激しい揺れのため、しばらくここに待機。この広い駐車場には同じように公衆電話で連絡をとる者、車を止め様子をうかがっている者、次から次と車が集まってきていた。
そんな時、一台の消防自動車が走ってきて、窓から大きく身を乗り出し大声で何かを叫んでいた。その様子、隊員のお兄さんの表情から、とても尋常ではないことが瞬時に伺えたが、しかし何を言っているのか私には全く聞き取れなかった。神永はすぐに車のエンジンをかけ、カーナビを見ながら国道を外れ、知らない道を西に向かって走らせた。「後ろ、津波、津波!」神永の声で、後ろを振り向くと、白いモヤのような霧状の線が空に浮かんで見えた。

「逃げろ、津波だ、車を捨てて逃げろ、津波だ!」

神永の素早い判断、そして何よりも隊員の方のこの命がけの警告により、私たちは津波から逃れることができた。少し小高い学校の校庭らしき場所に車を止め、しばらくすると隣に一人で車を走らせ逃げてきたのか、女性の方が車を止め、私の顔を見るとほっとしたように笑顔を見せた。気づけば神永の手も震えていた。

道路の寸断、あちこちに出来ている亀裂や段差。崩れているブロックなどを道路に積んで車を走らせ、どうしても通ることが出来ない段差があると別な道を探し…。倒壊した家が狭い道をふさぎ、また崖崩れや、店舗内に屋根が崩れ落ちている店など、見る景色すべてが、今まで見たことのない光景だった。夜中近くに大熊町まで戻ることが出来たが、そこから先に進める道を、見つけることは出来なかった。

大熊の避難所になっている学校の校庭に車を止め、車中で一泊をする。翌日大型のバスが20台あまり避難所に到着、原発の10Km圏内と言うことでここからも避難を余儀なくされた。車を置いてバスで移動してくださいという指示、道路の状態もわからないため、車を置いてバスで大熊町の人と一緒に西へ避難。到着した避難場所に落ち着くも、原発の状況により急遽バスと自衛隊のトラックで、さらに西にある避難所へ夜に移動となる…。

車でわずか数時間という距離の、いわきにあるスタジオに帰るまでには結局3日かかり、私が自宅に帰りこの目で確認出来たのは4月7日という、約1ヶ月という日が流れた…。

今私たちは、まだ集束していない原発に不安な気持ちを抱きながらも、復興に向かって歩きだした。